テロが起きた後だったら『ディーパン〜』は作らなかった
内戦が続く祖国を離れ、フランスで新たな生活を始めるために疑似家族となった3人。パリの荒れ果てた団地で、昼間は父・母・娘の家族として暮らし、夜は他人に戻る日々を送る彼らが、幸せを願いながらも新たな暴力に直面する苦悩を描いた『ディーパンの闘い』が、2月12日から全国公開される。
監督は、『君と歩く世界』(12年)などを手がけた名匠、ジャック・オディアール。第68回カンヌ国際映画祭で絶賛され、最高賞のパルム・ドールを受賞した本作について話を聞いた。
──昨年末にパリでテロ事件が起きるなど、今、世界的に移民問題の深刻さがクローズアップされています。本作は、現代ヨーロッパが抱える問題を予見していたかのような内容ですが、映画を製作する上でどんなことを考えましたか?
『ディーパンの闘い』
(C)2015 - WHY NOT PRODUCTIONS - PAGE 114 - FRANCE 2 CINEMA
監督:実は脚本家のトマ・ビデガンとも色々話し合いました。我々が考えたのは、果たしてテロが起こった後でも、我々は『ディーパン〜』を作ったかということ。答えはノンです。というのも、それは現実をなぞることになるから。映画は現実をなぞるものではない、それはもうクリエーションではなくなってしまいます。もしこれからテロのことを考えるとしたら、あの事件をとりあげるとしたらどんな形で描けるだろうか? 答えは『ディーパン〜』とはまったく異なるものになるだろうということです
──主人公・ディーパンはスリランカからフランスへと逃れてきた元兵士です。今回、なぜスリランカという国を選んだのでしょうか?
監督:脚本家のノエ・ドブレが、スリランカのことを描いたBBC製作の『No Fire Zone: The Killing Fields of Sri Lanka』(13年)というドキュメンタリーについて教えてくれたのがきっかけでした。それまで私は、スリランカについてほとんど知らず、「紅茶の国」というくらいの認識しかありませんでした。でも彼が、80年代に起こったスリランカ内戦のことなどを教えてくれました。フランスではスリランカの内戦のことはほとんど知られていません。スリランカはもともと英国の植民地でしたし、フランスとはほとんど繋がりがない、とても遠い国だった。
でもスリランカのことを知って、すぐにとても興味を持ちました。それからどんどんイメージが広がっていったのです。ドキュメンタリーを見た後、パリのタミル人のコミュニティについてリサーチしました。元兵士にも会いました。彼らは最初、とても用心深かった。でも何度も会っているうちに、みんな打ち解けて話してくれるようになりました。兵士たちと民間人の距離は決して近くありません。ちょうど映画のなかの前半でディーパンと(疑似家族の“妻”である)ヤリニがそうであったように、相容れない距離があるのです。
本作がカンヌで認められたことで自信が持てた
『ディーパンの闘い』
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──ディーパンを演じたアントニーターサン・ジェスターサンは作家で、プロの俳優ではありません。プロの俳優以外を主演にするのは初めてですよね。演出は今までと違いましたか? また、ジェスターサンを起用した理由は?
監督:これまでと異なるやり方で仕事をすること、それこそが私が望んだことです。お互い言語がわからないなかで、平等の立場で働きたかったのです。現場では、必然的に現場で変化していくことがたくさんありました。それは、オスカー女優であるマリオン・コティヤールが主演した前作『君と歩く世界』とはまったく異なるやり方でした。
結果的に適切な方法だったと思います。というのも、プロではない彼らはシナリオに根ざすよりも、その場で自然にやりとりをしながら作っていった方がやりやすかったように思うからです。リハーサルではなく、現場で彼らの意見に耳を傾けながら作っていきました。彼らはとても反応が鋭かったですよ。
──脚本家やカメラマン、音楽など、今までとは違うスタッフを起用していますね。
監督:まず音楽についてですが、とくに新しい人とやりたかったという気持ちがありました。最初の時点で私は、どんな音楽がどのぐらい欲しいか、イメージが浮かばなかった。それで作曲家と臨機応変な関係を必要としました。もちろんこれまでやってもらったアレクサンドル・デスプラも大好きです。彼はどちらかというと、ここはこういう雰囲気ときっちり決めてくる方なのですが、今回は彼のやり方より、いつでも変更可能な柔軟性が欲しかった。それで異なるアプローチの作曲家にしたのです。
最初にストーリーの大枠が自分の頭にあったことは確かですが、それでも私の直感として、この作品は制作の過程で大きく変化するだろうと予想していました。撮影、編集、様々な段階で自然な形で進化するだろうと。むしろそれが私の願いでもありました。基本の設定をもとに、できる限り柔軟な形をキープし、あらかじめ決めすぎることはせずに自由に変化していく。カンヌ国際映画祭に出品が決まったときは、じつはまだ作品は完成していませんでした。カンヌに決まったことで、やっと完成させることになったと言ってもいいかもしれません。今回は“終わり”を決めるのが特に難しく、もしカンヌに選ばれていなかったら完成させるのにもっと時間がかかったかもしれません(笑)。
結果的にカンヌで認められたことで、本作は私にとって多くの自信をもたらしてくれることにもなりました。こういう撮り方が自分にできるのだという、確信を得ることができたのです。プロではない俳優たちを使い、あらかじめいろいろなことを決めすぎずに現場で進発展させていくやり方。実験映画ではなく、映画自体がラボラトリーのような実験で、最終的にどんな形になるのかを決めずにやっていくのです。私にとってはとても新しい経験でした。
『ディーパンの闘い』
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──何度か日本にも来ていますが、日本の印象は?
監督:日本の文化は大好きです。もちろん日本食も(笑)。多くのフランスの映画監督が日本文化に関心を抱いていると思いますよ。
どこに惹かれるか? その答えはロバン・バルトの著書、『表徴の帝国、記号の国』にあると思いますよ(笑)。たとえばバルト的に言うと、日本文化においてはさまざまな記号が集まって、それ自体がひとつの完成された記号になっているという印象があります。オブジェなどは、コンセプトというよりはプレゼンテーションにとてもこだわりがあるように感じられます。西洋の場合とかく意味付けが大事ですが、日本の芸術の場合は総合的な効果、印象が大事にされるように思います。
日本映画だと黒澤明、溝口健二なども好きですが、もっとも衝撃を受けたという点では小津安ニ郎でしょうね。彼のフレーミング、カメラを据え置いた長回し、これほど簡潔なものは見たことがありませんでした。
──次は、ゴールドラッシュに沸くアメリカを舞台にしたパトリック・デウィットのミステリー小説「シスターズ・ブラザーズ」を映画化されるそうですね。
『ディーパンの闘い』
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監督:『ディーパン〜』の前に書いていた脚本で、ゴールドラッシュの時代を舞台に、ふたりの兄弟とある反逆者を描くものですが、西部劇というのは私にとって初の試みです。まだ全体のフォルムもわかりませんし、どこで撮影するかもまだはっきりしていません(笑)。
今日、西部劇を作るとしたら、それは映画史、西部劇の歴史をあらためて振り返ることが必要でしょう、それによって今日、西部劇を作るということは何か、その価値はどこにあるか、といったことを考えることになるのです。それはたとえば自然や野生といったものへのノスタルジーなのか、エコロジー的な観点なのか、デモクラシーの誕生にあるのか、それを今、私は考えているところです。