お客さんを信じ、想像力をもって完結するような映画を作らせてもらった
夏のある日、出会ったばかりの若い2人が逃避行する。東京で役者を目指す翔太と和歌山の高齢者介護施設で働くタカラ。ある事件に巻き込まれ、追われる身となった2人の旅を追う『ソワレ』は、自主映画で活動し続けてきた外山文治監督の長編第2作で、豊原功補と小泉今日子の映画初プロデュース作でもある。
説明を省きながら、映像と音で、言葉にならない世界を描いた監督に話を聞いた。
外山:『ソワレ』の原型を考えていたのは2016年ぐらいですが、主人公はやはり高齢者の男女だったんです。彼らが施設から抜け出す物語で、人生とは何だろうとか、最期はどう生きていくべきか、などをテーマに考えていた時期があって。高齢化社会の閉塞感を捉えようとしていたのですが、それから数年過ぎて、閉塞感を感じたり、もどかしい出口のない暮らしをしているのは、むしろ今の若者こそそうなんじゃないかという思いに至りまして、設定を若い男女の逃避行物に変えたのが大きなポイントですね。
外山:めちゃくちゃありました。なぜ忖度をしたかというと、僕は20歳からこの業界に入ってますが、自分が歩んだ20年間は自分の作家性はほんとに必要のないものだったんです。オリジナル作品はまず撮れないから。オリジナルをやりたくても「まずはどこかでベストセラーにしてこい」「漫画にしてこい」と言われて、作家性とは無縁のものを企画してくれということがとても多かった。恨み節ではなくて、多かったんです。
外山:はい。そういった中で、どこかで自分もへし折られていくというか、器用にならないと生きていけないというか。久しぶりの長編映画で、今回は商業映画……ってことは、「こういうことですよね」と変に理解が良くなることをナチュラルにしてしまった。
それまでは、映画をお客さんの理解力に委ねるのは、どちらかというと駄目だと言われてきました。「思いをきちんと伝えられない映画は稚拙である」という中でもがいていたので、分かりやすい内容を作ってきたのが初稿です。何の疑問もない、キラキラしたセールスポイントもある、みたいな作りでした。
でも、それこそ小泉さんや豊原さんが、僕とは全然違う角度でこの業界に対する思いがあって、「自分たちと映画を撮るのに同じことをやっていいのか」と、ずっと鼓舞してくださって。小泉さんは「洗脳を解く」と言ってましたけど(笑)。「こうでなければいけない、なんてない。短編映画でやってきたことを、そのまま商業でもやったらいいじゃないか」と。もちろん、そうは言っても商業映画ですよ、というところのせめぎ合いをやっていたのですが、ある時に、ほんとに何をやろうとしているかが肌で分かるようになってきたんです。それはとっても覚悟のいることですが、そうであるならば、自分もぜひやりたいと思った。お客さんの想像力をもって完結する、お客さんを信じるような映画を作らせてもらいました。
外山:そうですね。大変優れた表現者なので、自分の中で若者に目を向けたときに、その若者の象徴というか、今の時代特有の葛藤と普遍的な葛藤の両方を一気に背負ってくれるのは、虹郎くんが一番いいと思ったのが素直なところです。プロデューサーも一緒にお仕事をしていたことから、大変信頼されていたので、すぐに決まりました。
外山:すごい生命力があるから。走り出してから、何てきれいなんだ、と思うんです。本当にここから逃げたかったんだな、飛び出したかったんだな、というのを全身で表現されていて。そういった生命力に引かれたのが1つ。あと、虐待を受けた過去から立ち直っていくのが映画の主題ですが、被害者、犠牲者として記号的に描くつもりはなく。真の人間を描く中で、魂が再生というか蘇生していくような、芽吹いていく瞬間を芋生さんは演じられるんじゃないかと思いました。
外山:小泉さんは「見ざるを得ない映画を目指そう」と言ってました。特に最初の30分くらいは、何か分からないけど、見ざるを得ない展開が続いていくと思います。序盤にグーッと集中を高めて、ある意味、緊張感を強いる映画ではあるんですけれども、それはやっぱりお客さんを信じてるってことなんです。退屈させないために音楽をかけるのはよくある手法なんですけれども、逆に退屈させないために一切のものを排除していくことを選びました。
外山:よくスペクタクルとかに使われるサイズですが、やっぱり日常を生きていくことこそ、人生の舞台だということに尽きるんです。雄大な和歌山の景色と逃げていく2人に、あの画角が一番合うんじゃないかと思って選んだんですけど、良かったと思っています。
外山:大変ありがたいですよね。自分で撮って、宣伝・配給もやったのは、やっぱりオリジナルで撮りたくてやっていただけなんですけど。作家性を貫いていけと言ってくださる方がいたのは、ほんとに励みになるし。簡単には言えないですけど、自分にとって本当に励まされる出会いです。しかも同じような気持ちでこの業界に対して「何か違うアプローチもあるんじゃない?」と思っていた。すごくすてきな出会いだったなと思いますし。
また機会があれば絶対にやりたいと思います。私そのものがあんまり作品量産型のタイプではないのですが、こういった活動は続けていきたいなと思いますね。
外山:撮ってますね。
外山:労力が全然違いますよね。長編は短編4本分の尺ですが、短編を4本作るよりもやっぱりつらいですよ。それは今回で分かったことではあります。
ただ、ライフワークのように自分の作品を撮っていくっていうのは、これは小説家の人に多いですが、長編小説を書いた後で短編小説を書く人もめちゃくちゃいるし、行ったり来たりみんなされますよね。映画ではなかなかないから、そういう垣根は越えてやっていきたいなと思います。伝えたいメッセージと伝えたいテーマに合うサイズを選ぶ、ということでいいと思うんです。
外山:小学校から小説を書いてまして。小説家になりたかったんですけど、高校で友だちと自主映画を作ったんです。
外山:そうですね。ちなみにあの翔太が演じてる脚本は自分が学生時代に書いた脚本なんです。世に出ることもないものを、ここで使ってやったわけなんですけども。撮ってきた素材を見たら、全然違うこと言ってました(笑)。あれは自主映画なんで、虹郎くんたちに助監督さんを1人付けて「出演者で自由にやってきて」と言ったら、台本とは全然違うことをしゃべってた(笑)。
話を戻すと、自主映画が楽しかったんですよね。何がっていうと、やっぱり1人じゃなかったのが楽しかったんです。そこから映画の世界に向かって行きました。
外山:あんまりそこの垣根は考えてないんですけれども、映像の強さというのは、言葉が要らないっていうことですよね。物体の強さというか、目に見えるものの強さはすごいと思います。そういったところはやっぱり惹かれますね。
外山:自分たちの世代は早くからインターネットがあったので、ネットで物語を見ることに違和感はないですけれども、やっぱり映画は、もともとみんなで大きなスクリーン見るものだし、そのために自分たちは作っています。映像の設計という意味でも、それが本当の姿だと思います。コロナの影響で文化そのものが危ういですけれども、でも絶対になくならないという気持ちもありますし、映画館で見てほしいです。
最初に閉塞感の話をしましたが、先が見えない不安とか、なかなか出口が見えない中もがいていく物語は、まさに今の時代こそふさわしい映画じゃないかなというふうに思っています。なので、この映画の必要性は去年よりも随分と増してるんじゃないかもと思います。翔太が「傷つくために生まれたんじゃない」と言いいますが、今まさにみんながそう思ってあがいているわけです。だから、うそのない希望を見いだす物語を、ぜひ劇場で見てほしいと思っています。
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