1973年7月20日に死去したブルース・リーの、没後40年記念<ブルース・リー祭り>ドラマ編となる映画『李小龍 マイブラザー』。この作品が7月13日に公開初日を迎え、新宿武蔵野館で行われたトークショーに、和製ドラゴンと呼ばれるアクション俳優の倉田保昭がゲストとして登場した。
本作は、ブルースの実弟ロバート・リーが製作総指揮をつとめ、ブルースが渡米する前の青春時代を描いた作品。家族しか知らないエピソード満載で、「ブルース・リーを題材にした映画はこれまでたくさん作られてきたが、彼の人間的な部分が描かれた本当の物語を残したかった」という思いから誕生した。
一方、倉田は1971年、香港ショウ・ブラザーズ社『悪客』で香港映画デビュー、一躍香港映画界でブルース・リーと並ぶスーパースターとなり、これまでの香港映画出演作品は100本を越える香港映画通。ブルースにまつわるエピソードを語れる唯一の日本人と言っても過言ではない。
そんな倉田が明かしたのが『ドラゴンへの道』のラスト。チャック・ノリスとの決闘シーンの撮影を見学したことを振り返り、「私がショウ・ブラザーズでやっている立ち回りと違いましたね。“受け”が全くない。相手が入ってきたら蹴り、入ってきたら突き。全く隙がなかった。あの頃が一番いい状態でしたね。あれが、ブルース・リーの真のキャラクターです」とコメント。
また、この日は特別にブルースと握手を交わしている写真を披露。この写真は1972年に『ドラゴンへの道』の撮影に向かう際に、当時の景徳空港で撮影したものだそうで、「本当に、細いし大きくないんです。あの体でどんな相手にも立ち向かっていたんですよ」と倉田は当時を振り返った。
さらに「ここだけの話……」と切り出すと、ブルースと『燃えよドラゴン』について話した際に「彼は、緊張しすぎて撮影に行きたくないと言っていました。それと同時に、『燃えよドラゴン』が最後にアメリカに復讐するチャンスだからと言っていたので、さらに気合が入って緊張していたのでしょう」と話した。
最後に、日本のファンへのメッセージとして、「香港では、今でも銅像が作られるほど、ブルース・リーの人気は全く消えてないです。日本はジャッキー・チェンの方が人気ありますが、ブルース・リーが原点なんです。日本も、彼のことを忘れないでほしい。それが私からの願いです」と締めくくっていた。
『李小龍 マイブラザー』は新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開中。
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