温暖化、コロナ禍、ウクライナ侵攻…現代社会を幸福に生きるヒント満載のドキュメンタリー
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『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』金子遊監督インタビュー
6ヵ国語を自由に話し文字のないムラブリ語の語彙を収集する言語学者・伊藤雄馬と共にムラブリ族を追ったドキュメンタリー映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』が3月19日より公開される。公開を前に、監督・金子遊のオフィシャルインタビューが届いた。
・民族間の対立を解くカギ…「矛盾や違和感を指摘するのではなく、ありのままを受け入れる」
金子は、本を書く批評家でフォークロア研究者の傍ら、仕事や個人的な創作としてドキュメンタリーを中心に映像作品を撮りつづけてきた。
学生時代の1998年に16ミリで撮りはじめ、フィルム日記『ぬたばたの宇宙の闇に』(08年)が、すでに石狩河口、奄美大島、喜界島、徳之島、ヨルダン、イラクを旅しながら撮ったフィールドワーク映画だった。12年にパレスチナで、14年に西ヒマラヤやミクロネシアで人類学的な映像を撮影したあた りから映像人類学を意識するようになったという。
これら短編は、映画祭で上映しトークイベントや大学の授業で資料映像として見せ、Web配信して終わり。ところが、今回のムラブリ族に関しては、ラオス側でまだ誰にも撮影されていない森の民の生活が残っていると聞き、どうしても長編ドキュメンタリーにしなくてはと思いたち、今回の長編制作に至った。
「言語学者・伊藤雄馬は共同制作者だ」
ムラブリ族に興味を持ったきっかけは、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督『トロピカル・マラディ』や『ブンミおじさんの森』を見たこと。
「タイには何度か行っていましたが、イサーン(東北タイ)のピー(精霊)や民間信仰にも興味が向くようになりました。北タイの森に住み、まさに精霊と呼ばれてきたのが森の民であるムラブリ族だったのです。僕は若い頃から文化人類学や民俗学に関心があり、オーストリアの民族学者ベルナツィークの『黄色い葉の精霊』を翻訳で読んでいました。近年、雲南省からインドシナ半島やインド北東部にか けてのゾミア(山岳地帯)に住む少数民族をフィールドワークすることが多かったのですが、彼も1930年代にその地域を旅していた。そして、森の中で狩猟採集をして暮らし、半裸でノマド生活をしていたムラブリ族のことを彼の本で知りました」
話はそこから、言語学者・伊藤雄馬と出会った経緯に及ぶ。
「国際交流基金のアジアセンターのフェローシップをもらったので、17年2月から3月にかけて、通訳兼ガイドや運転手を雇えるような、お金をかけたフィールドワークをすることができました。タイのウィチット・クナーウット監督が撮った『山の民』(79年)という映画がありますが、そこにはタイ北部からミャンマーのシャン州にかけて暮らす、アカ族、ラフ族、ヤオ族といったゾミアの少数民族たちの伝統的な暮らしが活き活きと描かれています。その映画を契機にして、フォークロアの研究を深めるため、山地民におけるアニミズム的な宇宙観やシャーマニズムについて、実地にまわって宗教儀礼や信仰を調査して歩いたのです。その流れでタイ北部のナーン県へ行き、ベルナツィークの本だけで知っていた、実際どこにいるかもわからないムラブリ族を探し歩きました。運良くムラブリの村を知っているタイ人の旅行会社の中年女性と出会い、たくさんのおみやげをピックアップのトラックに積んで会いに行きました。すると、タイ側のムラブリ族の人たちが定住生活をしているフワイヤク村で、ちょうど住み込みで言語調査していた伊藤雄馬さんに出会い、意気投合したというわけです。その時も、ムラブリ族の人たちの学校を見学したり、長老やおばあさんたちに昔の森の生活についてインタビューしたり、バナナの葉と竹で寝床をつくるやり方をカメラの前で再現してもらったりして、『黄色い葉の精霊』(17年)という短編作品をつくりました。農耕民族であるまわりの少数民族とちがい、タイ側のムラブリ族もつい2〜30年前まで狩猟採集をしていた人たちで、とても強い関心をおぼえました」
撮影と編集は金子が担当し、ドキュメンタリー的な誘導はしたものの、伊藤は共同制作者だ言う。
「最初にタイのフワイヤク村で会ったとき、伊藤さんから『嫌いあっているムラブリ同士を会わせてみたい』と聞かなければ、『森のムラブリ』の重要なストーリーラインは生まれなかったでしょう。それ以上に重要だったのは、18年に主だった撮影をしたとき、すでに伊藤さんはフワイヤク村に10年以上通い、その場に寝泊まりしながらムラブリ語を習得し、ムラブリ族の人たちから信頼を勝ち得ていた。彼とフワイヤク村の人たちの間の信頼関係がなければ、ピープレッの語り聞かせも、芋掘りやバ ナナの葉でつくる家の再現シーンも撮れなかったと思います。伊藤さんのこの映画における貢献は、到底“出演”や“通訳”といったクレジットで表現できるものではありません」
現地での撮影では、2つの方針を立てていた。ひとつは、ラオスの森でノマド生活をするムラブリ族を探すこと、もうひとつは、人食いだと言って互いに 嫌い合っているムラブリ族の人たちに100年以上ぶりに再会してもらうことだった。
「『このような場面が撮れないか』と僕が提案し、伊藤さんがタイ語やムラブリ語やラオ語を駆使して現地の人たちに働きかけ、協力を求めていくというプロセスを重ねていきました。ラオスのにおける森の民としての生活が撮れなければ、長編ドキュメンタリー映画として成立しないことはわかっていたので、あまり積極的ではない伊藤さんを説き伏せて、地元の村の若い人をガイドとして雇い、登山に出発するまでが大変でしたね。確かに言葉は通じなかったけれど、逐一、伊藤さんが通訳してくれるので、ラオス側のムラブリたちの人柄や人間関係は把握していましたし、言葉の抑揚や身振り手振りのニュアンスで何を言っているかはわかりました。ですので、あとは体をいい位置に入れて、より良いショットを撮ることに集中するだけでした。ムラブリ族同士が対面するラストシーンでは、何か化学反応が起きることは予測していたので、撮影者としての私は気配を消して静かにカメラを回すだけでした」
人類はこのままでいいのか…モノがなくても幸せに暮らせるヒントにあふれる映画
見所については、次のように語った。
「森の民であり、狩猟採集民の伝統的なライフスタイルを持つムラブリ族は、都市で暮らす私たちとも違うし、平原に住むタイ人やゾミアに住むモン族などの農耕民とも異なっています。お腹がすいたら森のなかで小動物や魚をとり、芋やタケノコを掘って食べてきたムラブリには、それを未来のために保存しておこうという考えはない。ラオス側では、農耕民のように作物を計画立てて育てていき、それを国家に徴税としておさめたり、貨幣に変えて必要な日用品を購入するという貨幣経済には取りこまれていない。その代わり、独特の交易方法はもっていて、森で採ったものをラオ人の村へ持っていき、それを米やタバコなどと物々交換している。それから贈与経済と言えそうなものもあります。これは『森のムラブリ』の映像にも映っていますが、手に入った食料とかつくった食事をすべて、その野営地にいる人たちと平等にシェアしていました。これは食べ物が手に入らないときにも、互いに食料を分け合って生き抜こうとする、狩猟採集民ならではの知恵でしょうね。ムラブリのような狩猟採集民の生活を観察してみると、おおげさな言い方ですが、人類の未来のためにそこから色々なことが学べると思います。もうひとつのオルタナティブな生き方の秘密がそこにあるような気がしました。たとえば、ムラブリがノマドであり、遊動生活をするのは、その場にある芋や魚や果物を取り尽くさないためですね。別の場所に移動して、しばらくして戻ってくると自然環境がおのずと回復しているわけです。日本では縄文時代から続いてきたような自然と調和し、持続可能な生活というものを狩猟採集民から学べるわけです。『森のムラブリ』という映画は、人類がこのままの生活ではいけないという問題意識を持った、すべての人たちに何かを投げかけられる作品だと思います」
読者に対しては、次のようなメッセージを残した。
「特に21世紀に入ってから、あきらかに地球環境の変化が顕著になっていると思います。火山が噴火し、台風や水害が頻繁に起き、地震や津波や山火事などの自然災害が世界中で見られるようになりました。神の見えざる手なのか、増えすぎた人類全体をターゲットにしたようなパンデミックが蔓延し、もう2年以上ものあいだ日常生活が戻ってきていない状態です。そんな中でヨーロッパで戦争が起きて、核戦争や世界大戦の危機まで言われるようになり、難民になってしまう人たちが大量に出ています。ですが、私はムラブリの人たちを撮影し、この映画をつくる中で、ちょっと安心したんですね。家をなくし、電気やガスを失い、電気製品がなくても、きれいな川と森があれば、人間は豊かに生きているんだなということがわかったので。彼らや彼女たちの姿を見て、物に囲まれていることが、そんなに重要ではないんだと気づきました。しかも、森の民には労働をして金を稼ぐ必要がないので、みんな時間に追われることなく、明日の心配をすることもなく、ごろごろとダラダラと今を満喫して生きている。会社や学校で大変な思いをしたり、人間関係の中で何か嫌なことがあってストレスをおぼえたりしたときに、ふとムラブリのことを思い出し、森の中にいる時のように深呼吸をしてみると、ちょっとだけ息苦しい現代社会から距離を置くことができる。そして、すべてを捨てて、いつでも豊かな森で流浪の生活を送ってもいいんだと思えると、気が楽になる。そんなリラックスできる映画でもあるので、思いついた時に近くの森にのんびりするために出かける時のように、映画を見に来てもらえたらと思います」
文明社会に問いかける、密林の民のノマド生活
本作品は、伊藤と共にカメラが世界で初めて平地民から姿を見られずに森のなかを遊動する「黄色い葉の精霊」と呼ばれるムラブリ族の謎めいた生活を捉えた映像作品。ムラブリ族が言語学的に3種に分けられることをつきとめ、互いに伝聞でしか聞いたことのない他のムラブリ族同士に、初めて会う機会を創出。また、今は村に住んでいるタイのムラブリ族の1人に、以前の森での生活を再現してもらうなど、消滅の危機にある貴重な姿を映し出す。
タイ北部ナーン県のフワイヤク村は、300人のムラブリ族が暮らす最大のコミュニティ。男たちはモン族の畑に日雇い労働にでて、女たちは子育てや編み細工の内職をする。
無文字社会に生きるムラブリ族には、森のなかで出くわす妖怪や幽霊などのフォークロアも豊富だ。しかし、言語学者の伊藤雄馬が話を聞いて歩くと、ムラブリ族はラオスに住む別のグループを「人食いだ」と怖れている様子。
そこで、伊藤とカメラは国境を超えて、ラオスの密林で昔ながらのノマド生活を送るムラブリを探す。
するとある村で、ムラブリ族が山奥の野営地から下りてきて、村人と物々交換している現場に出くわす。それは少女ナンノイと少年ルンだった。地元民の助けを得て、密林の奥へとわけ入る──。
はたして、今も狩猟採集を続けるムラブリ族に会えるのか? 21世紀の森の民が抱える問題とはいったい何なのか?
『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』は、3月19日より公開される。
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