さだまさし×大沢たかお×三池崇史。まさかの組み合わせから誕生した力強い生命讃歌

#週末シネマ

『風に立つライオン』
(C) 2015「風に立つライオン」製作委員会
『風に立つライオン』
(C) 2015「風に立つライオン」製作委員会
『風に立つライオン』
(C) 2015「風に立つライオン」製作委員会
『風に立つライオン』
(C) 2015「風に立つライオン」製作委員会

三池崇史と大沢たかおのウマが合うことは『藁の楯』でわかった。さだまさしと大沢たかおの相性がいいことは『解夏』、『眉山』というさだ原作を映画化した2本の出演作があることで証明済み。だが、三池崇史とさだまさしという組み合わせは想像もしなかった。さだが1987年に発表した楽曲から誕生した同名の映画『風に立つライオン』は、大沢たかおという触媒があってこそ実現したものだ。

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さだの知人である実在の医師の体験に着想を得た物語は1987年のアフリカ・ケニアから始まる。長崎の大学病院からナイロビの研究施設に赴任してきた医師・航一郎は、紛争の続く地域で心身共に傷つき、家族も亡くした子どもたちと出会う。傷を治すだけではなく、彼らととことん向き合う主人公を演じるのが大沢だ。石原さとみが演じる看護師・和歌子とともに、過酷な状況下で一心不乱に職務を果たす様子が、現地ロケ映像と臨場感あふれるタッチで描かれる。

ケニアを舞台にした作品には、アカデミー賞に輝いた『ナイロビの蜂』という名作がある。社会派サスペンスで、『風に立つライオン』とは内容もアプローチもまったく異なるが、恵まれた環境からやって来た主人公が使命感に目覚め、善意の力を疑わずに突き進むところ、あるいは監督が『シティ・オブ・ゴッド』というストリートに生きる少年たちの暴力的日常を描いたフェルナンド・メイレレスというところにも、両作になにか共通点めいたものを感じてしまう。そして双方とも、登場する地元民の演技が印象的だ。

日本映画にも外国人はしばしば登場するが、きちんとしたキャリアを持つ俳優が出演することはごく稀で、多くの場合は目も当てられない芝居を見せられる。実は本作に出演しているのも大半は地元の一般人だというが、彼らは実に素晴らしい。特に子どもたちの迷いのない演技には驚嘆する。

これはドキュメンタリーではなくエンターテインメントだが、紛争地帯の現実をお涙頂戴の設定として利用してはいない。あの頃こんな悲劇があった。そして今もどこかで同じような惨劇が起きていることに思いを至らせる。彼らのふとした表情や自然な振舞いがそうさせるのだ。反対に、大人の場面では作り話っぽさがにじみ出る瞬間があり、少々くどく、あざとくなってしまうところもある。

遠いアフリカと並行して描かれるのは、航一郎が日本に残してきた恋人・貴子が暮らす長崎県の五島列島の風景だ。真木よう子がヒロインとなるこのパートは、人口過疎地の暮らしや医療問題に迫り、別の作品1本が作れるほど豊かな物語だ。航一郎も貴子も、大それたことをしたいわけではない。自ら決断し、ただ信念に忠実に生きる姿が“風に立つライオン”の孤高と美しく重なる。オリジナルであるさだの曲は、彼女に宛てた手紙という形式だが、それを映画ではどうアレンジしたかも見どころだ。

それにしても驚嘆すべきは三池のヴァイタリティ。昨年10月から12月にかけて撮影し、ポストプロダクションを行い、3月には劇場公開だ。しかもその間の2月には市川海老蔵主演の六本木歌舞伎の演出も手がけている。

私見だが、三池作品における絶対のテーマは生命だと常に思っている。その意味で、まさかの組み合わせから生まれた映画はこのうえなく三池崇史のスピリットを感じる作品だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

『風に立つライオン』は3月14日より公開中。

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。

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