【日本映画界の問題点を探る】巨像マイクロソフトにたった1人で立ち向かい、勝利した女。大組織の弱点を逆手にとった手法とは?

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アンソニー・ホプキンス
『タイタス』に主演したアンソニー・ホプキンス(中央)と吉崎道代(左)
アンソニー・ホプキンス
全契約をとりまとめた『戦場のメリークリスマス』の大島渚監督(左)と吉崎道代(右)
デヴィッド・パットナム

【日本映画界の問題点を探る/世界と渡り合ってきた挑戦者に学ぶ 2/全3回】“伝説の女性映画プロデューサー”と称されている吉崎道代。自身の会社で共同製作した映画『ハワーズ・エンド』(92)と『クライング・ゲーム』(92)で、第65回アカデミー賞で計15のノミネーションと4部門での受賞を果たし、日本の映画人としては最多受賞を誇る。『戦場のメリークリスマス』の全契約を取りまとめ、マイクロソフトとの覇権争いに勝利、今なお精力的に活躍する彼女の経験から学ぶべきこととは?

日本の投資家は、投資のリスクを心得ていない

「嵐を呼ぶ女」というタイトル通り、映画のような激しい人生を送ってきた吉崎。本に書かれているどの出来事も驚きの連続だが、そんな長いキャリアのなかでも、一番の転機について振り返る。

「私のとってのターニングポイントは、自分の映画製作会社であるNDFジャパンを設立したことです。子どもを抱えていたこともあって、とにかく『やるっきゃない!』という思い。怖さを感じることはまったくありませんでした。私がラッキーだったなと思うのは、当時はまだ日本がバブルのときで、お金が集めやすかったことです。20ページほどの企画書を持って、最初に住友商事に話に行ったのですが、ダメだと思っていたら、なんとすぐに6000万円も出していただくことができました」

【日本映画界の問題点を探る/世界と渡り合ってきた挑戦者に学ぶ 1】『戦メリ』立役者にして未婚の母〜

吉崎は「どこの馬の骨ともわからない無名の私にそんな出してもらえるなんて驚いた」というが、さまざまな要因が味方しており、運を引き寄せる強さもさすがと言える。

「実は、私が話しをする前から何十億円も出してアメリカの映画会社を買い取るような動きが社内にあり、『勉強のつもりでお金を出してみよう』という狙いがあったそうです。あとは、優秀な学生を雇用するためには映画部があったほうがクールだからという目的もあったとか。それだけに、利益は期待していなかったみたいです。でも、私は『ハワーズ・エンド』でオスカーを獲ったことで世界中から収益を得ることができ、住友商事には4倍の利益を返せたので、新聞でも一面で大きく取り上げられました」

吉崎の“武勇伝”は日本国内だけにとどまらず、あの巨大企業マイクロソフトを相手にしてもひるむことなく突き進む。映画製作に乗り出したマイクロソフトと一匹狼の吉崎、シェイクスピアの悲劇をアンソニー・ホプキンス主演で映画化した『タイタス』(99)を巡る攻防は、痛快の一言だ

「私が一番の誇りにしていることのひとつは、マイクロソフトと互角に戦って勝ったことです。言ってみれば、マイクロソフトは象で、私はアリみたいな存在。最初は、英語圏出身ではない黄色人種で、しかも女性である私がマイクロソフトみたいな会社と利益を折半にするなんて『けしからん』みたいな感じでした。実際、マイクロソフトはこの企画の投資を決めた途端に、私を降ろそうとしたほどです。でも、大きな会社ほど契約を結ぶまでお金を出せないと知っていたので、私はそれを逆手に取ったんです。お金を自由に動かせる私が先に主演候補のアンソニー・ホプキンスと交渉し、本来なら600万ドルと言われた出演料も25万ドルにしてもらえたので、自宅を抵当に入れて払いました。当時のアンソニーは、『羊たちの沈黙』で大当たりしていたこともあり、彼との契約さえあれば他の映画会社や投資家に話を持って行ける。つまり、マイクロソフトを袖にすることもできると考えたのです。その後、ディズニーやほかの投資家から多くのオファーがあり、慌てたマイクロソフトから連絡が来て、無事に権利の50%を獲得。あのときは、『やった!』という感じでしたね」

大島渚

全契約をとりまとめた『戦場のメリークリスマス』の大島渚監督(左)と吉崎道代(右)

この1件に限らず、吉崎はたびたび自宅を抵当に入れるなど、かなりリスクの高い賭けに出る。その様子は、こちらがハラハラしてしまうほどだが、吉崎自身はむしろ日本人的な考え方に疑問を抱いているという。

「日本の投資家は、投資をするリスクをあまり心得ていない印象です。そもそも投資をするということはリスクを負うこと。にもかかわらず、『そんなに儲からなくてもいいから、損をしないように保証してくれますか?』と言う方もいるくらいナイーブな感覚を持っている人が多いと思います。日本の銀行自体がそういう考えのようですが、それは投資でも何でもありません。だから、私はそういう人たちは相手にせず、大きなところばっかり狙っているんですよ(笑)」

吉崎の強さと度胸は、一体どのようにして培われたのか。その原点は、幼少期にまで遡る。

「私は末っ子だったこともあり、両親は、迷惑さえかけなければ元気でいてくれるだけでいいという感じで、何の規則もなくワイルドに育てられました。男の子だったらいろいろ言われたかもしれませんが、女の子だったので生まれながらにしてアウトサイダーみたいなところがあったんだと思います。しかも、私の兄弟は東大や一橋大、お茶の水女子大などに行くほど優秀でしたが、私の成績は学年でも100人中90番台。それもあって、小さいときから海外に行くことしか考えていませんでした」

デヴィッド・パットナム

『小さな恋のメロディ』『炎のランナー』などの名作を数多く手がけた名プロデューサーのデヴィッド・パットナム

国内の大学にすべて落ちた吉崎は、何のつてもないローマへと向かい、3歳児ほどのレベルのイタリア語のまま現地の映画学校へと入学する。何がそのモチベーションを支えているのか、聞かずにはいられなかった。

「まずは、チャレンジするのがすごく好きというのは大きいのかなと。苦しいことも私にとっては“玉手箱”みたいに思えて、エネルギーが湧いてくるんです。普通の人ならめげてしまうことも、ネガティブなことが嫌いなので、すべてポジティブに挑戦してみようと考えるようにしています」

大物たちとの華麗なる交流はこちらの画像を!

第3回記事に続く/10月1日掲載予定

(text:志村昌美)