『わたしの名前は…』
映像が何の前触れもなく止まったり、モノクロになったり。『わたしの名前は…』におけるアニエス・トゥルブレ監督の演出は、時にかなり唐突に思えたりもするが、きっちりスタイリッシュかつアーティスティックに見せてしまうのが流石だ。複数のカメラの持ち味を使い分け、登場人物の心象風景を適切に描き分けたりもしている。キーカラーになっているのは赤と青。最初はフランス南部の荒涼としたランド県の風景にこの2色だけが際立ち、物語が進むに連れてさまざまな色がフレームに現れるようになる。それは主人公のセリーヌが、自分の殻を破って外の世界を見始めたことの暗喩のように思える。
・【映画を聴く】(前編)レオンとマチルダの関係を彷彿のアニエスベー初監督作。映像にも音楽にも鋭いセンスが光る
撮影はアニエス監督自身が行なっているが、ゲストカメラマンにジョナス・メカス監督を起用。彼が手がけたシーンには、イタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリが出演している。
音楽も、すべてがアニエス流だ。ソニック・ユースがジム・オルークとの連名で発表した「Hungara Vivo」や未発表音源を提供しているほか、テレヴィジョン・パーソナリティーズの「Silly Girl」、ザ・フォールの「Time Enough At Last」、コリン・ニューマン「Heartbeat」など、ポストパンク系のアーティストにもファンが多いアニエスベーらしい選曲を聴くことができる。
また、オリジナルの劇中曲は、フランスのエレクトロ・ポップ・デュオ、エールの一員であるジャン=ブノワ・ダンケルが担当。アニエス監督のリクエストでヴィヴァルディの歌曲「Stabat Mater(Amen)」「Nisi Dominus(Psalm146)」などのアレンジも手がけており、それらの曲ではカウンターテナーのデイヴィッド・ダニエルズが歌っている。その面子を見るだけで、監督の美意識が徹底的に貫き通されていることが分かる音楽ファンはけっこう多いと思う。
本作を撮るにあたって、監督の念頭にはチャールズ・ロートン監督の『狩人の夜』のようなフィルム・ノワール作品があったそうだが、トラック運転手ピーターの行く末にはパトリス・ルコント監督『仕立て屋の恋』の主人公を思わせるところがあるし、ふたりの関係はどこか『レオン』の主人公と少女マチルダのようでもある。いくつものレイヤーを丁寧に重ね合わせることで、見る者それぞれに多様な印象を残す『わたしの名前は…』。アニエスベーの服と言えば13個ほどのスナップボタンをあしらった“カーディガン・プレッション”がよく知られるが、そのシックで色褪せないデザインと同様、この映画も長く愛される作品になるに違いない。(文:伊藤隆剛/ライター)
『わたしの名前は…』は10月31日より全国順次公開される。
伊藤 隆剛(いとう りゅうごう)
ライター時々エディター。出版社、広告制作会社を経て、2013年よりフリー。ボブ・ディランの饒舌さ、モータウンの品質安定ぶり、ジョージ・ハリスンの趣味性、モーズ・アリソンの脱力加減、細野晴臣の来る者を拒まない寛容さ、大瀧詠一の大きな史観、ハーマンズ・ハーミッツの脳天気さ、アズテック・カメラの青さ、渋谷系の節操のなさ、スチャダラパーの“それってどうなの?”的視点を糧に、音楽/映画/オーディオビジュアル/ライフスタイル/書籍にまつわる記事を日々専門誌やウェブサイトに寄稿している。1973年生まれ。名古屋在住。
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