世界的巨匠・大島渚も経済的な成功とはほど遠く「映画監督としての生涯年収は…」
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【日本映画界の問題点を探る/「殺さぬように生かさぬように」のドキュメンタリー制作現場? 3】現在の日本映画界では、ハリウッドから遅れて起きたMeToo運動を皮切りに、さまざまな問題が明るみに出ている。セクハラやパワハラだけでなく、低賃金労働などの金銭に関する点も改善すべきと叫ばれているが、ドキュメンタリー業界の現状について語るのは大島新監督。フジテレビを退職してフリーランスになった際の金銭事情については、著書『ドキュメンタリーの舞台裏』のなかでも、赤裸々に明かしている。
「昔は仕事量に見合っていないと思うような価格でも、自分がやりたい番組であれば、提示された安いギャラで受けたこともありました。ただ、テレビ番組の場合だと制作費の予算が決まっていて、そのなかで分配していくので、視聴率が良かったからといってギャラを上げてもらうことはできません。しかも、最近はその予算も年々下がってきているので、現場に行く人を減らすとか、ディレクターが自分でカメラを回すとか、そういう工夫をするしかない貧乏くさい状況。残念ながら、やりがい搾取のようなところはあるかもしれません。江戸時代の大名による百姓の年貢取り立てについて『殺さぬように生かさぬように』という言葉がありましたが、『ドキュメンタリー製作者も同じような感じだよね』と仲間内で冗談を言っていたこともあるくらいです」
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映画人である前に言論人だった大島渚監督、今ならYouTuberになっていた!?
ここで気になったのは、大島監督の父である大島渚監督の経済事情。世界的な知名度を誇り、映画監督として成功を収めていただけに、大島監督も幼少期はさぞ裕福な生活を送っていたのではないか、と考えた。しかし、その期待は大きく裏切られることとなる。
「いや、全然でしたね。父の作品で利益が出たのは、おそらく『愛のコリーダ』と『戦場のメリークリスマス』の2本だけ。調べたことはありませんが、父の映画監督としての生涯年収は大したことなかったと思います。名前は知られていたものの、経済的な大黒柱は母で女優の小山明子のほうでしたから。ちなみに、父は篠田正浩監督や吉田喜重監督と並んで“松竹ヌーヴェルヴァーグ”と呼ばれていましたが、全員、妻が女優。だからいい格好ができていたんじゃないかなと思ったことも(笑)。でも、父は『上の世代は銀座に飲みに行っていたけど、自分たちは新宿になっちゃった』みたいなことをよく言っていました」
その後、大島渚監督はテレビタレントとして大きな注目を集めることになったが、決して経済的な理由からではなかったと明かす。
「よくそう言われるんですけど、それは本当に誤解で、単純に父はテレビに出るのがとても好きだったんです。あるとき、大島組にいた足立正生監督から『若松孝二監督は、大島さんがカラフルな服を着てテレビにバンバン出ていて一緒にいるのが恥ずかしいよと言ってたけど、僕は大島さんは自らメディアになろうとしているんだと感じたよ』と言っていただいたことがありました。それを聞いて、すごく腑に落ちたんです。父は「映画人である前に言論人」という面がありましたから。いま生きていたら、YouTuberになっていたかもしれないですよね(笑)。なので、映画を作りやすくするためにテレビに出ていたとか、そういうことではありませんでした」
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若い頃は「大島渚の子どもであることにアレルギーがあって、映画の世界を遠ざけていた」というが、その背中を負うように、テレビ業界を経て映画の道を歩き始めた大島監督。着実にキャリアを積み重ねてはいたが、最近になってようやく認められてきたと感じているのだとか。
「30代後半くらいからドキュメンタリー業界内ではそれなりに評価していただいていたとは思いますが、業界外にも知ってもらえるようになったのは2020年の『なぜ君は総理大臣になれないのか』のときから。50歳を過ぎてやっとでしたね。なので、母からも『あんたは本当に遅咲きね。パパなんて20代からイケてたのに』と言われたほどです(笑)。遅咲きで悪かったなと思いましたけど、まあ咲いたのならよかったなと感じています」
テレビから映画の世界に飛び込んだのは、大島監督のなかで次の段階へと進みたい気持ちが湧き上がっていたからだというが、あるメリットも感じていると話す。
「結果が付いてくるまでには時間もかかりましたし、経済的な苦労もありました。でも、映画の場合はテレビと違って作り手である監督の名前がちゃんとフィーチャーされるのが大きいですよね。といっても、別に有名になりたいというわけではなく、それによって映画が作りやすくなる部分があるからです。あとは、自分が望んでいたほかのことに繋がりやすくなるというか、取材をしていただいたり、本を書いたりすることもできるようになりました。最近になって、自分ができることや裁量の幅も増えてきたと感じるので、監督をするうえで署名性を獲得することには意味があると思っています」(text:志村昌美/photo:泉健也)【日本映画界の問題点を探る/「殺さぬように生かさぬように」の〜4】元フジテレビ社員が考える「数字が全て」への疑問 作品性をなおざりにした根底に秋元康の影響…に続く
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