是枝裕和×坂元裕二×坂本龍一の〈共演〉が実現
是枝裕和監督『怪物』の公開が始まった。どこかウィリアム・ゴールディングの小説『蝿の王』の世界を思わせる、主演の少年2人の泥まみれの顔をとらえたポスター・ビジュアル。『怪物』という大きなタイトル・ロゴと「だーれだ」のコピーを挟んで、その下には主要キャストである安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子の写真がレイアウトされる。ポスターの最下段には、〈監督:是枝裕和 × 脚本:坂元裕二〉〈音楽:坂本龍一〉というクレジット。すでに坂元裕二のカンヌ脚本賞受賞といった知らせも入ってきているが、本作を映画館で見るにあたってはポスター・ビジュアルに載っている以外の事前情報は何も要らないと思う。
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ここでは作品の成り立ちやストーリーの詳細については触れないが、多くの人は本編が始まってしばらくは「え、どういうこと?」「なんでそんなことをするの?」の連続で、違和感やモヤモヤを禁じ得ないだろう。しかし物語が進むにつれて、それらの疑問はひとつずつ丁寧に解明されていく。そして物語が終盤に差しかかる頃には、カンヌ受賞を受けての記者会見で坂元裕二が語った「(人は)自分が被害者だと思うことにはとても敏感だが、加害者だと気づくことは難しい」という言葉の意味を正確に理解できるようになるはずだ。
呼吸音までを克明に記録した、最晩年の楽曲たち
映画公開の数日前にリリースされた『怪物』のサウンドトラック盤は、残念ながら坂本龍一最後の映画音楽になってしまった。全7曲が収録されているが、映画のために書き下ろされたのは「Monster 1」「Monster 2」の2曲に留まる。是枝監督からのオファーを快諾するも「映画全体のサウンドトラックを担当する体力はもう残っていない」という理由から、先の2曲以外は坂本が過去に発表した作品から是枝監督が選曲した5曲が収録されている。
では、収録される全7曲の内訳や聴きどころをご紹介していこう。まずタイトルバックで流れるのは、2023年1月にリリースされた最後のオリジナル・アルバム『12』収録の「20220207」という曲。スローなピアノのアルペジオを基調とするこの楽曲は、その後ほどなくしてかかる「Monster 1」とともにたびたび劇中で流れ、作品の通奏低音のような役割を果たしている(「20220207」は5度、「Monster 1」は8度も使われている)。
「20220207」はその曲名の通り、2022年2月7日に録音された楽曲である。『12』には、2021年3月初旬に大きな手術を終え、東京の仮住まいに戻った坂本龍一が、自身の体調と相談しながら録音したサウンドスケッチ12曲が収録されている。すべての曲名がそのまま録音日になっているので、一番古い曲は「20210310」、一番新しい曲は「20220304」ということになる。『12』からはもう1曲「20220302」が選曲されており、これは2人の少年の関係性を示す2つのシーンで使われる。
先述のように「Monster 1」が劇中の様々なシーンで多用されるのに対して、もうひとつの新曲「Monster 2」は1度しか使われない。ただし、物語の潮目が変わる重要な転換点に楽曲が配置され、永山瑛太の演じる小学校教師が辿り着いた〈真実〉の重みをシリアスに演出する。「Monster 1」や「Monster 2」、それに先ほどの「20220207」といった最晩年に書かれたであろう楽曲たちは、注意深く耳を傾けると坂本龍一の呼吸音やピアノのペダルを踏む音が生々しく記録されている。命の終わりが近づいていることを悟り、自身の〈生〉を証しするすべてを残したいという心境に至ったのだろうか。これほど誠実に自己を開示した楽曲にはそう出会えるものではない。
名曲「Aqua」のもたらす余韻を映画館で味わってほしい
残る3曲のうち、「hwit」「hibari」の2曲は2009年のソロ・アルバム『out of noise』の収録曲。「hwit」は当時の坂本のお気に入りだったイギリスの弦楽奏者グループ、フレットワークによるヴィオラ・ダ・ガンバの多重奏曲で、「hibari」はシンプルなワンフレーズを少しずつずらしながら反復することで正調に回帰させる、脱構築的なピアノ曲。特に印象的なのは「hibari」の使用シーンで、2人の少年の間に流れる穏やかな時間が永遠には続かないことを表現するのにこれほど相応しい坂本曲はないのではないか。是枝監督の選曲の妙である。
そして残りの1曲、サウンドトラックの最後に収められた「Aqua」は、映画本編でも最後に使われる。これは1999年にリリースされた坂本のピアノ・ソロ・アルバム『BTTB』に収録されたテイクで、オリジナルは実娘である坂本美雨のデビュー・アルバムのために書かれた「in aquascape」というヴォーカル曲。坂本龍一のレパートリーでは「Merry Christmas Mr.Lawrence」や「The Last Emperor」などと並ぶ人気を誇り、ピアノ・ソロのコンサートでも演奏される機会の多かった曲だ。
雪解け水の流れる微かな音に、シンプルで優しいメロディが重なるこの曲は、今後多くの人に〈『怪物』のエンディング・テーマ〉として記憶されることになるだろう。そう思わせるほど、「Aqua」はこの『怪物』という映画を感動的に締め括る。晩年の坂本龍一はメロディの分かりやすさよりも音響的なふくよかさを重視した曲づくりにシフトしていったが、彼の書く人懐っこいメロディが好きな自分としては、「Aqua」が曲本来の佇まいに相応しい〈場所〉に置かれたことが嬉しい。ぜひとも皆さんもこの曲のもたらす余韻を映画館で味わってほしいと思う。(伊藤隆剛/音楽&映画ライター)
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『怪物』は、2023年6月2日より全国公開中。
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