【週末シネマ】『シェイプ・オブ・ウォーター』
まもなく発表になる第90回アカデミー賞で作品賞、監督賞など最多13部門でノミネートされている『シェイプ・オブ・ウォーター』。メキシコのギレルモ・デル・トロ監督が、米ソ冷戦時代のアメリカを舞台に、声を失くした孤独な女性とアマゾンの奥地から連れて来られた謎の生物の愛を描く同作は、大人のおとぎ話とでも言うべき味わいがあり、昨年9月にヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞して以来、数々の映画賞に輝いている。
・2作品が拮抗! 興行成績で占う、アカデミー賞最有力作品はどれ?
ファンタジー作は不利と定評のあるアカデミー賞で、主要部門から技術部門まで幅広く候補になった理由は何だろうか。
ヒロインのイライザは古びたアパートに1人で暮らし、アメリカ政府の極秘研究所で清掃員として働いている。幼い頃のトラウマで、耳は聞こえるが発話はできない彼女には、同僚のゼルダと隣人で売れない画家のジャイルズという気の置けない友だちもいた。職場と家を往復するだけの質素で単調な日々が大きく変わったのは、勤め先に大きな水槽が運び込まれた直後だ。仕事の合間に目にした水槽の中には、見たことのない生物がいた。だが、彼女はなぜか心惹かれ、人知れず“彼”のもとへ足を運ぶようになる。食べ物をわかち合い、アイコンタクトや音楽などをツールに、2人は心を通わせていく。
1962年という時代を背景に、デル・トロが何よりも大切に描くのは愛情だ。心を通い合わせたい、相手に触れてみたい。これ以上ないくらい純粋に、シンプルに恋愛の本質を描いたラブストーリーだ。若くもなく地味で、声のないヒロインと、体にヒレのついた不思議な生きもの。彼らの恋は本当に美しい。言葉を使わない2人の身のこなしは1つ1つが雄弁で麗しい。イライザ役のサリー・ホーキンスはオードリー・ヘプバーンやジンジャー・ロジャーズ、またチャップリンやキートンなど無声映画のスターの演技も研究したという。音楽をかけて踊るシーンはもちろんのこと、階段の手すりに手を置く仕草1つまで神経が行き届いている。
アマゾンでは神とも呼ばれる謎の生きものを、全身スーツに覆われた状態で演じたダグ・ジョーンズも素晴らしい。最初の登場場面で、観客の恐怖を煽るように水槽に叩きつけられる“怪物の手”は、イライザがそっと置いたゆで卵に伸ばす時にはまるで違う表情を持つ。ジョーンズは『ミミック』(97)以来のデル・トロ作品の常連であり、その佇まいは精巧なスーツを着たパフォーマーではなく、皮膚から不思議な生きものに同期しているかのようだ。
2人の前に立ちはだかるのが、 “彼”を実験に利用しようとする冷酷かつサディスティックなエリート軍人ストリックランドだ。マイケル・シャノンが演じる威圧的なまなざしの大男は、50〜60年代のモンスター映画ならば主役に回る立場であることは、デル・トロがしばしば言及している。だが、国のためという大義名分のもと、不思議な生きものを残酷に扱うストリックランドはここでは悪役を担う。高圧的に振る舞う一方で、自己啓発本を読み、鏡に映る自分に発破をかける脆さをはらんだ人物であり、信じた正義を押し通すことで悪役になってしまう。人間こそが、最強のモンスターであるという恐ろしさ、哀れさを象徴する役だ。さらにオスカー女優のオクタヴィア・スペンサー、リチャード・ジェンキンス、そしてマイケル・スタールバーグといった実力派が脇を固め、社会の片隅でひっそりと生きるマイノリティの群像劇という側面を形成する。
仄暗い水中を思わせる青を基調に、ところどころ差し込まれる赤が印象的な色調、リアルと幻想のバランスの妙、アレクサンドル・デスプラの音楽。すべて見事に調和している。イライザのアパートは、古き良き豪華な内装の大劇場の映画館の上にあり、彼女自身も隣人宅のテレビでミュージカルの名画をいつも見ている。作品自体が、総合芸術である映画というメディアに対するデル・トロのラブレターでもあり、こうした面がアカデミー会員たちの琴線に触れたことは想像に難くない。
人はなぜおとぎ話を必要とするのか。夢を見たいからだ。正義を信じたいからだ。水はどんな形にも変わるが、水は水のまま。愛もまた然り。水の形を見ながら、愛の形を知る。今の時代に必要なのは、この映画が描いているものだ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『シェイプ・オブ・ウォーター』は3月1日より全国公開中。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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