【週末シネマ】『ジョーカー』
主演J・フェニックスに早くもオスカーの声
9月に開催されたヴェネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞に輝き、主演のホアキン・フェニックスに早くもオスカーの呼び声が高まっている『ジョーカー』。言わずと知れたバットマンの宿敵の誕生までを描いた作品は、コミックのキャラクターを介して社会に広がる格差や不寛容の現実を突きつける問題作だ。
・世界が注目!『ジョーカー』は映画史を塗り替える作品になれるか?
コメディアンになる夢を抱き、母親と2人でゴッサムシティの古びたアパートに暮らすアーサーはピエロのメイクで大道芸人をしている。「笑顔を絶やさず、ハッピーな表情をしていなさい」という母の言いつけを守っているが、路上で少年たちに暴力をふるわれたり、次々と理不尽な出来事が彼の身に降りかかる。コメディクラブに通って熱心に勉強し、自ら舞台に立つ機会も訪れるが、客にはまったく受けない。笑いのタイミングが人と違う彼はどんどん周囲から孤立していく。
1980年代初めのニューヨークを思わせるゴッサムシティは暗く、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』(1976)や『キング・オブ・コメディ』(1983)を思わせる世界だ。大道芸人派遣会社に同僚たちがたむろする情景は『タクシードライバー』を思い出させる。相手に対する善意も悪意も無関心もないまぜになった空間で浮き上がるアーサーは『タクシードライバー』のトラヴィス・ビックルのようであり、テレビトーク番組の人気ホストのマーレイ・フランクリンに憧れる姿は『キング・オブ・コメディ』のルパート・パンプキンを思い起こさせる。この2作に主演したロバート・デ・ニーロがマーレイ役で出演しているのも興味深い。
だが、そこはまぎれもないゴッサムシティ、ブルース・ウェイン/バットマンが生きている世界だ。アーサーの母が救世主のように崇める街の有力者、トーマス・ウェインはブルースの父親だ。ブルースは少年時代に両親を目の前で殺され、そのトラウマが人格に大きく影響しているが、仮に父親を亡くさずに大人になっていたら、どうなっていたか? トーマスはそんなことを考えさせるキャラクターとして描かれる。アーサーが一方的に慕う父親の代替的存在である、成功した大人の男2人(トーマスとマーレイ)が象徴するものについても考えたくなる。
余裕のない社会で残酷に踏みにじられるアーサーを演じるホアキン・フェニックスは、心の優しさや要領の悪さゆえに見下され、底の底まで落ちていく男の孤独をひりつくようにリアルに突きつけてくる。やせ細った体にヒステリックな笑い声。可笑しくも楽しくもないのに止まらなくなる笑いの苦しさにもがき、それでも時折訪れる、ささやかだが嘘のように幸せな瞬間に慰められ、なんとか毎日をやり過ごしていく。「自分だけなのか、それとも世の中がだんだんおかしくなってきているのか?」と自らに問いかけながら。そして薄皮を剥がすように痛ましい現実が露わになっていく。
監督は『ハングオーバー!』シリーズで知られるトッド・フィリップス。はちゃめちゃなコメディを得意とする一方で、『オール・ザ・キングスメン』(2006)の製作総指揮、イラク戦争中に起きた詐欺事件の実話を映画化した『ウォードッグス』(16)などを手がけている。フィリップスの主人公への感情移入があまりにも強く、観客が引いてしまうスレスレのレベルだが、フェニックスの熱演も相まって、観客をアーサーの心の中に入った気にさせる。アーサーの言い分だけを聞いて、どんどん共感を深め、悲しみや怒りを共にどんどん募らせていく。と、不意に現実が見えてくる。世間から負け犬と見なされる人間が、自己憐憫に酔うことさえできなくなった時、何が起こるのか。ジョーカーになりたいとは誰も思わないだろう。でも、なってしまうかもしれない。そんな怖さを覚えさせる。
映画は今週末に日米で同時公開されるが、アメリカの一部劇場ではコスプレ入場の禁止、また2012年に『ダークナイト ライジング』上映中に銃乱射事件が起きたコロラド州オーロラの映画館では『ジョーカー』の上映をしないと決定した。ニューヨークとロサンゼルスの市警察は今週末、映画館への警官配備を強化すると発表するなど、不測の事態への警戒ムードが高まっている。何事も起きないことを願いたい。だが、そんな不安を抱かせるほど、ここに描かれる闇は真に迫っているのだ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『ジョーカー』は10月4日より公開中。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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