マイケル・ケイン主演『2度目のはなればなれ』が公開中
【この俳優に注目】2度のアカデミー賞受賞、そして近年はクリストファー・ノーラン監督作品の常連としても知られる名優、マイケル・ケイン。現在91歳の彼が昨年、これをもって俳優を引退すると宣言した最後の主演作『2度目のはなればなれ』が公開中だ。
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2014年の実話をもとにした同作でケインが演じるのは、妻とともにイギリスの老人ホームで生活する89歳のバーナード。若き日に第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦で戦った彼は、70周年記念の式典が行われる同地にたった1人で赴く。戦時に続いて最愛の妻と2度目の離れ離れになるにも関わらず、黙ってホームを後にする彼の真の目的は、旅が進むにつれて明らかになっていく。
これまでに見せたことのない姿と表情に感動
ケインがスクリーンでこんなに弱々しい姿を見せたことはあっただろうか。劇中のバーナードは杖やシルバーカーを押して歩く。動作もスローモーで、彼がかつてよく演じたタイプのキャラクターならば小気味よくやっつけていた若者たちに気後れする場面もある。ケイン自身、近年は公の場では杖を使用しているので、多少の誇張はあるにせよ、彼自身の体力を反映しているのだろう。若い世代が想像するのとは違う、強がりと弱気でヨーヨーのように振れる老いのリアルに胸が締めつけられる。昨年6月、作品の公開前に亡くなった名優グレンダ・ジャクソン演じる妻への愛情に満ちた優しい表情など、70年ものキャリアで無数の作品に出演しているケインから今なお誰も見たことのない表情が出てくることに感動する。
1960年代にイギリス映画の新しいスターとして頭角を表して以来、主演、助演のどちらにも欠かせない存在として80歳を超えても活躍し続けたケインの歩みを振り返りたい。
20歳で除隊、夢だった俳優の道へ
1933年、ロンドンの労働者階級に生まれたケインは貧しい環境で幼少期を過ごした。18歳で軍隊に入り、20歳で除隊すると夢だった俳優への道を歩み始めた。
ブレイクは30歳近くなった1960年代に入ってから。ケインは自分が映画スターになれたのは、コックニー(ロンドンの労働者階級の訛り)で話す主人公の映画が作られる時代になったからだと振り返っている。当時のイギリス映画界にはめずらしい、労働者階級の若者像をリアルに表現できる稀有な存在として新風を吹き込んだ。アメリカではマーロン・ブランドがブレイクし、映画スターに求められるのが完璧な美しさだけではなく、ナチュラルな個性が重視されるようになった時代の風潮と彼の個性が合致したのだ。
主演作『燃える戦場』では高倉健と共演
戦争映画の大作『ズール戦争』(1964年)やスパイ映画『国際諜報局』(1965年)、のちにジュード・ロウ主演でリメイクされた稀代のプレイボーイを描く『アルフィー』(1966年)などで人気を不動のものとした。180本近い膨大のフィルモグラフィーは多彩で、犯罪サスペンスからシリアスなドラマ、軽妙なコメディ、中には本人も「駄作」と切り捨てるものまで、来るもの拒まずであらゆる作品に出演した。1970年の主演作『燃える戦場』は高倉健の海外デビュー作でもある。
『サイダーハウス・ルール』などでアカデミー賞を2度受賞
ハリウッドでも活躍し、『ハンナとその姉妹』(1986年)と『サイダーハウス・ルール』(1999年)でアカデミー助演男優賞を2度受賞している。1度目は、翌年ラジー賞候補にもなった『ジョーズ’87 復讐篇』(1987年)の撮影で授賞式を欠席し、2度目の時は同カテゴリーにトム・クルーズ、ジュード・ロウ、マイケル・クラーク・ダンカン、ハーレイ・ジョエル・オスメントが揃い、彼ら1人1人に温かい言葉をかけ、「私は、あなたたちにもそうなってもらいたいと願うものの代表としてここにいます。サバイバーです」とスピーチした。
ショービジネスの荒波を乗り越え、まるでキャリアを総括するような口ぶりだったが、その後にクリストファー・ノーランと出会い、『バットマン ビギンズ』(2005年)から『TENET テネット』(2020年)まで8作品でコラボレーションし、他にも『グランドフィナーレ』(2015年)など、70歳を超えてからの主演作も多い。
いい俳優と思われたら失敗
ケインは話好きで、インタビューで話すのも得意だ。ジョークを散りばめながら、面白いエピソードを次々披露する。抜け目ないタフさとドライなユーモアのある洒脱な男といえばマイケル・ケインというように、パブリックイメージが役柄に投影されることも多かったはず。だからこそ、彼に取っての理想の演技についてのコメントが興味深い。2010年、ロサンゼルスで行われたトーク・イベントで、「映画を見ている人に『マイケル・ケインっていい俳優じゃない?』と思われたら、失敗だ。観客が見るべきは俳優ではなく、そのキャラクターだ」と語っている。
駆け出しの頃に受けたアドバイスとは?
ケインの哲学は「Use the difficulty(困難を活かせ)」だという。駆け出しの俳優だった頃の舞台稽古で、男女が夫婦喧嘩している部屋に入る場面でドアを開けようとしたところ、夫役の俳優が投げた椅子のせいでドアが開かなくなった。頭が真っ白になったケインは「困難を利用しろ」と言われたという。「コメディなら椅子に躓いて転べ。ドラマなら拾い上げて叩き壊せ」。そのアドバイスは実生活にも取り入れているという。「その困難を活用できないほど悪いことはない。1%の4分の1でも有利にすることができれば前進だ。それに負かされなかったのです」
反戦の意思が込められた台詞に心揺さぶられる
最後の主演作で演じたバーナードとケインには共通点がある。映画に描かれる出来事が起きた時の89歳という年齢、長年連れ添っている愛妻、そして若き日の兵士としての戦争体験だ。
2010年、「60 Minutes Australia」のインタビューで彼は19歳でイギリス陸軍の兵士として朝鮮戦争での過酷な経験を語っている。「人を殺したことはあるかと尋ねてもいいですか?」と聞かれた彼は戦場について「そこは真っ暗闇で、私は機関銃手だった。どう思います?」と答えている。嘘をつかない人だ。そして「誰がなんと言おうと、戦争は最も恐ろしいことだ」と断言している。
映画には、バーナードがノルマンディーにあるバイユー戦没者墓地を訪ねて涙にくれる場面がある。そこで発する台詞は観る者の心を揺さぶる。断固とした反戦の意思が込められたその言葉は、ぜひ劇場で確かめてもらいたい。自分に厳しいケインならば、「キャラクターではなく俳優として見られてしまった」と断じるだろうか。だが、戦場の現実を知る彼の心に去来したものがバーナードという人物を通してこちらに伝わったのだ。個人的な気持ちが演じる人物の感情に重なった、一世一代の名演だと思う。
『2度目のはなればなれ』は地味だが、マイケル・ケインという俳優がスターであり続けていたからこそ実現した映画だ。奇跡と呼びたい大切な宝のような作品であり、ケインにとって、これ以上ないほど見事な幕引きとなっただろう。
90歳を超えても挑戦を厭わず
カメラの前に立つことはもうないかもしれないが、ケインは新たな表現にチャレンジしている。コロナ禍で長期間、活動停止を余儀なくされた時期を執筆に充てていた。小説を書き、新著も11月にイギリスで出版される。役を演じるための体力はともかく、ストーリーテラーとしての意欲は衰えていない。90歳を超えても挑戦を厭わない、老いを受けとめての“Use your difficulty”の精神だ。ちなみに、難点を利用するのが自身の哲学だと語ったコメントの締めくくりの一言が彼らしい。「できることなら避けるのも私の哲学だ。何としてもね」 (文:冨永由紀/映画ライター)
『2度目のはなればなれ』は、全国公開中。
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