ホロコーストを生き延びた建築家の半生が伝える残酷な現実、そして今の粗暴な世界と地続きの現実味

#ブルータリスト#エイドリアン・ブロディ#ガイ・ピアース#フェリシティ・ジョーンズ#ラフィー・キャシディ#週末シネマ

『ブルータリスト』
『ブルータリスト』
(C)DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. (C)Universal Pictures
『ブルータリスト』
『ブルータリスト』
『ブルータリスト』
『ブルータリスト』
『ブルータリスト』
『ブルータリスト』
(C)DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. (C)Universal Pictures

エイドリアン・ブロディ主演『ブルータリスト』

【週末シネマ】3月発表の第97回アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む全10部門にノミネートされている『ブルータリスト』は、ホロコーストを生き延び、アメリカに新天地を求めたハンガリー生まれのユダヤ人建築家の物語だ。

人気子役の兄、崩壊した家庭、苦難を乗り越えて素晴らしい俳優へと成長したキーラン・カルキン

現在36歳でこれが長編3作目のブラディ・コーベット監督が7年がかりで完成させた本作は上映時間215分という大作だ。主人公のラースロー・トートを演じるのは『戦場のピアニスト』(2002年)でアカデミー主演男優賞を受賞したエイドリアン・ブロディ。ラースローの物語は、ほぼ同時代にハンガリー動乱を逃れてアメリカに移住したブロディの母親とその家族の歴史に共鳴する。作り手たちの強い思いを乗せた特別な作品でもある。

大きな特徴は、アメリカ映画としては1961年以来のビスタビジョン(1950年代に広く使用された高解像度のワイドスクリーン方式)の採用とインターミッション付きという上映スタイルだ。時代がかった大がかりな仕掛けだが、撮影日数はわずか34日間、製作費は960万ドル。昨年の第96回アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』の15億円以下と言われている予算と同規模だ。

『ブルータリスト』

(C)DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. (C)Universal Pictures

ホロコーストにより愛妻と引き離された主人公

物語は1947年、ラースローが移民船でニューヨークの港に着くところから始まる。彼が最初に見たアメリカの景色は自由の女神像。手持ちカメラで激しく揺れる映像は監督のデビュー作『シークレット・オブ・モンスター』(2015年)でも使われた手法であり、これから始まる波乱の予兆のようだ。

タイトルは1950年代に欧米で起こったブルータリズムと呼ばれる建築運動に由来する。コンクリート打ちっぱなしの無骨で巨大な建造物が主で、ワイマール共和政期に名門バウハウスで学んだラースローの作品も同じ様式だ。語源はフランス語の「生コンクリート(béton brut)」で、英語で「残忍、粗暴」を意味するブルータル(brutal)とも響きが重なる。タイトルは登場人物が直面する残酷な現実を象徴している。

ラースローは確固としたキャリアを築きながらも、ホロコーストによって愛妻と強制的に引き離され、フィラデルフィアで家具店を営む従兄弟アッティラを頼って単身渡米した。消息不明だった妻エルジェーベトと姪のジョーフィアが生きていることが判明し、彼は従兄弟の仕事を手伝いながら、2人をアメリカに呼ぶ手段を模索する。

ラースローのキャラクターはおそらくマルセル・ブロイヤーなど、主人公と似た経歴の実在のブルータリズムの建築家をモデルにしているのだろう。彼がアッティラの店で作った椅子のデザインはブロイヤーの作品を彷彿とさせる。

パトロン役にガイ・ピアース

交渉術に長け、大きな仕事も受注するラースローだが、その歩みはわかりやすいアメリカン・ドリームとはならず、ある出来事をきっかけにアッティラの家を理不尽に追い出されてしまう。数年後、ホームレス状態で石炭運びの仕事をしていた彼の前に現れるのが裕福な紳士、ハリソン・ヴァン・ビューレンだ。

実は彼こそがラースローを現在の窮地に追いやった張本人だった。広大な土地と邸宅を持つ彼は、息子と娘がサプライズでラースローに依頼した書斎の改装を気に入らず激怒し、その結果、ラースローは従兄弟と疎遠になった。だが、ハリソンは雑誌で自邸の書斎が賞賛されるやラースローを探し出し、掌を返して彼の才能を絶賛し、亡母の名を冠した巨大なコミュニティセンターの設計を依頼する。

『ブルータリスト』

(C)DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. (C)Universal Pictures

ガイ・ピアースが演じるハリソンとラースローはパトロンと芸術家として理想的な関係だ。ハリソンが自宅でのクリスマス・パーティに彼を招いて2人きりで対話するシーンでは、胸襟を開いて語らい、知的に刺激し合う両者の興奮が伝わってくる。単刀直入の質問にズバリと答えてみせるラースローの言葉に、霞んでいた視界が開けるような鮮やかさを覚えた。

主人公が上昇気流に乗り始めて第1部は終わる。上映時間は100分ずつの二部構成で、15分間のインターミッションを挟むが、この中断は作品への集中力を保つのにむしろ役立つ。ダニエル・ブルームバーグの音楽をバックにカウントダウンが表示され、次第に様々な音がそこに重なって映像の世界が始まる準備がなされていく。映画館でなければ味わえない感覚を満喫できる、またとない機会だ。

強い精神力を持つ妻をフェリシティ・ジョーンズが演じる

第2部では、ついにエルジェーベトとジョーフィアがアメリカに到着する。3人は共に暮らし始めるが、妻は過酷な経験の末に車椅子生活を余儀なくされ、姪は緘黙状態にあった。フェリシティ・ジョーンズは、体は不自由でも強い精神力のエルジェーベトを演じてアカデミー助演女優賞候補になった。登場は第2部からだが、第1部の冒頭で読まれるラースローに宛てた手紙がその存在感示す。物語が進むにつれて響いてくる言葉の数々は予言のようだ。もう1つの視点を受け持つジョーフィア役のラフィー・キャシディも印象深い。再会しても元には戻れない。だが、傷つけられて壊れてしまっても、それでも変わらないものを彼らは探し求める。

『ブルータリスト』

(C)DOYLESTOWN DESIGNS LIMITED 2024. ALL RIGHTS RESERVED. (C)Universal Pictures

一方、壮大なプロジェクトに没頭するラースローとハリソンの関係も変化していく。妥協しない芸術家と支配欲に駆られる権力者を演じる俳優2人が醸し出す緊張感、ダイナミズムは格別だ。ブロディとピアースもそれぞれ、アカデミー賞の主演男優賞と助演男優賞にノミネートされている。

主人公の誇りや怒り、絶望、歓喜をブロディが見事に表現

どのキャラクターも、わかりやすい表層の下に透けて見える何かがある。一つの人格の中に美しさと醜さ、誇りと自信、どす黒い嫉妬とコンプレックス、親切と卑怯、愛情と裏切りが混在する。ハリソンの息子を演じるジョー・アルウィン、アッティラ役のアレッサンドロ・ニヴォラ、ラースローの親友ゴードンを演じるイザック・ド・バンコレといった実力あるキャストたちが、人間という器に詰め込まれたあらゆる矛盾を見事に表現している。

そしてなんといっても、ブロディの雄弁な顔立ちはこの物語に欠かせない。ラースローの誇り、怒り、絶望から歓喜まで、抑制を効かせながらもドラマティックに表現し、すでに数多くの賞を受賞している。

『ブルータリスト』はアメリカン・ドリームの残酷な現実を描いている。虐待は人の体も心も壊し、取り返しがつかないことも。そして、絶滅の危機を生き抜いた者の目に映る世界も。

映画が描くのは1980年までだが、その間にイスラエルという新たに作られた“祖国”を目指す選択肢が提示されると、物語は俄然、2025年と地続きの現実味を帯びる。今、粗暴に荒むばかりの世界で何が起きているのかを考えずにはいられない。そして放たれる最後のセリフは凄まじく衝撃的だ。額面通りに受け取るかはさておくとして、ラースローと3時間半の旅を共にした後に聞くと、彼の境地として得心するしかない一言とも受け取れる。(文:冨永由紀/映画ライター)

その他の写真はこちら

『ブルータリスト』は、2025年2月21日より全国公開中。

INTERVIEW