逆行する時間に混乱、奇想天外で現実的、ノーラン監督の想像力にのみこまれる150分

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テネット
『TENET テネット』
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【週末シネマ】コロナ禍で大作映画の公開が軒並みキャンセルになった今年、8月下旬から世界各地で順次公開となったクリストファー・ノーラン監督の『TENETテネット』。アメリカではロサンゼルスやニューヨークなどの大都市で映画館がオープンしていない状況ながら9月14日現在、世界興行収入が2億ドルを突破する大ヒットを記録している。

・デンゼル・ワシントン息子ほか、2020年の活躍が期待される若手スター&監督たち

大画面を他の観客たちと共有して楽しむ映画館という場が必須条件の本作は、『メメント』や『インセプション』、『インターステラー』、あるいは『ダンケルク』など、時間や記憶をテーマにしてきたノーランの集大成といった趣だ。

タイトルである「TENET」とはラテン語の回文に出てくる1語で、「原則」「信条」という意味がある。「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」という5つの単語を縦列すると、縦横上下どちらから読んでも同じ5語になる。5つの単語は様々な形で劇中にちりばめられ、回文というテクニックは、時間の輪を回り続ける本作の構造を端的に表してもいる。

主人公の“名もなき男”(ジョン・デイヴィッド・ワシントン)は、冒頭に起きるテロ事件の現場に特殊部隊の一員として登場し、やがて第三次世界大戦を防ぐミッションにつく。「君に与えられるものはこれだけだ」と「TENET」の一語を託され、その言葉は「正しい扉を開ける。間違った扉もだ」という但し書きも付く。有能な相棒、ニール(ロバート・パティンソン)と無謀な計画の数々を実行していく彼の前に立ちはだかるのが、ロシアの大富豪で武器商人の顔も持つセイター(ケネス・ブラナー)だ。彼の妻で美術鑑定士のキャット(エリザベス・デビッキ)の存在も重要な鍵となる。

『ブラック・クランズマン』(18年)で注目された主演のワシントンは、あのデンゼル・ワシントンの息子だが、ミステリアスな佇まいで父とは異なる魅力がある。アメフトのプロ選手から俳優に転身した彼の身体能力は素晴らしく、無表情ながら硬質一辺倒ではなく、微かな愛嬌とユーモアがある。役の上でも、また共演者としても最高のサポートぶりのパティンソン、内に激しさを秘め、自由を渇望するクールビューティーを演じるデビッキも素晴らしくブラナーの安定した悪役ぶり、ノーラン作品には欠かせないマイケル・ケインの登場も楽しめる。

主人公たちの時間の移動は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のようにタイムマシンで設定した時点に向かうタイムトラベルではなく、時間を逆行するというものだ。映像を逆回転させるように、というか、画面上では文字通りに映像が逆回転し、車の走行や人の歩行は後ずさり。『メメント』ではあくまでメタファーとして描写した「発射された銃弾が逆行して銃口に戻る」現象が、ここでは現実の出来事だ。VFXを嫌い、実写にこだわるノーランの演出により、俳優たちはシーンによっては動きや台詞までも逆行させて演じている。激しいカーチェイスもトリックなしの実写だ。

時間の逆行が始まると、そこからは目まぐるしい。ある時点に飛んだかと思えば、また別の時点へと向かう。手取り足取りのガイドはなく、ここで観客は混乱をきたす。エントロピー、アルゴリズム、テネット等々、日常生活では口にしない言葉が次々畳みかけられて怯むが、主要人物の設定について頭に入っていれば、物語自体は至ってシンプルだ。

ミッションを与えられた主人公と頼れる相棒、外国語訛りの強い悪役、美女。ノーランが愛してやまない『007』シリーズなどのスパイ映画の王道の展開なのだが、理解を助けるはずの説明台詞の数々が目眩ましのように混乱を誘うのはノーランの意図かもしれない。挙げ句、ある登場人物に困惑する主人公に向かって「理解しようとしないで、感じて」とブルース・リーまがいの一言まで吐かせるのだ。

何がネタバレになるのかさえ判断できない。予告編には酸素マスクをつけて表情も読み取れない主人公の姿があるが、マスクで口元が隠れる奇異な風体が新しい常識になりつつある今、私たちの置かれている状況は? と考えてみたくなる。もちろん今の世界情勢は、映画撮影時には予期していたものではないのだが。

映画は非常にはっきりと現代社会への警告も提示する。あまりにストレートで、真に受けていいものかと疑うレベルなのだが、メッセージそのものは正しいと思える。奇想天外であると同時に現実的に受けとめることも可能。ホイテ・ヴァン・ホイテマ(『インターステラー』『ダンケルク』)の映像、ルドウィグ・ゴランソン(『ブラックパンサー』)の音楽とともに、大型旅客機一機を実際に爆破してしまうノーランのクレイジーな創造力が高揚し続ける150分間はあっという間だ。(文:冨永由紀/映画ライター)

『TENET テネット』は9月18日より公開。