83歳のホプキンスが史上最高齢でアカデミー賞主演男優賞に輝く
【週末シネマ】アンソニー・ホプキンスが第93回アカデミー賞に於いて、83歳という史上最高齢で主演男優賞を受賞した『ファーザー』。ホプキンスは、認知症の症状が現れ始めた老人の境地を圧倒的な説得力で表現し、『羊たちの沈黙』以来、29年ぶり2度目の快挙にふさわしい最高の演技を見せる。
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81歳のアンソニーはロンドンのアパートで一人暮らしをしている。娘のアンが手配する介護人たちを次々と拒み続けているが、その日常は危うい。愛用の腕時計のありかがわからなくなり、盗まれたのでは? と疑心暗鬼になる。訪ねてきた娘から「恋人とパリに移住する」と告げられて驚き、憤慨するが、それは何度も繰り返されてきたやりとりなのだ。別の日には長年住み慣れたアパートに突然見知らぬ男が現れ、娘の夫と名乗るばかりか、「ここは私の家です」と言い出す。さらに知らない女性がやって来て、「私はあなたの娘よ」と言う。
座って見ているだけの観客は気づかないうちに物語の一部になり、アンソニーとともに謎の中に放り込まれて混乱の感覚を共有することになる。娘夫婦に騙されているのか? 姿を見せないアンの妹・ルーシーはどうしているのか? 迷宮の中で同じ会話や出来事がループし、見当識が失われていく感覚はホラーだ。主人公と観客は散らばったピースを集めて完成図を作ろうとするが、この物語のパズルは絶対に完成しない。
ホプキンスが演じるにあたり、役名はアンドレからアンソニーへ
本作は、フランスの劇作家フロリアン・ゼレールが自作戯曲「Le pere 父」をフランスからイギリスに置き換えて脚色し、映画監督デビューした作品だ。映画化の際に主人公の名前をアンドレからアンソニーに変え、そして生年月日もホプキンスと同じにした。
日本をはじめ世界各国で上演され、トニー賞など権威ある演劇賞に輝いた「Le pere 父」は2015年、フランスで名優ジャン・ロシュフォールの主演作『Floride(原題/日本未公開)』として映画化されている。別人による脚色に対して、自分ならこう撮る、というゼレールのアプローチがうかがえるのが本作だ。共同脚色のクリストファー・ハンプトンとともに第93回アカデミー脚色賞を受賞している。
父と娘、どちらの感情も体験させる巧みな演出が見事
90分余の上映時間は濃密だ。屋外のシーンはほとんどない。閉ざされた室内劇だが、アンソニーのアパートそのものが生きもののように姿を変えていく。同じ空間なのに、シーンによって細部が微妙に変わる場にいる主人公と同じように、観客も違和感を味わう。この世界は現実なのか、記憶なのか妄想なのか。自分の記憶や認知に裏切られるというつらさ、心細さが痛いほど伝わってくる。
自らの変容に、本当は誰よりも敏感に気づいているからこそ、アンソニーは衰えていく恐怖を怒りに変えて表現する。空回りする饒舌、強がりに透けて見える不安がなんともいえず生々しい。見てはいけない姿を見てしまったような感覚に襲われて気づくのは、観客に父娘どちらの感情も経験させる演出の巧みさだ。
アンを演じるオリヴィア・コールマンの繊細で豊かな表現も見事だ。佇まいや表情が多くを物語る演技は台詞による説明なしに、この親子の歴史を伝える。
2人の物語を支えるのは、TVシリーズ「SHERLOCK」のマーク・ゲイティス、イモージェン・プーツ(『ビバリウム』)、ルーファス・シーウェル(『ジュディ 虹の彼方に』)、そしてオリヴィア・ウィリアムズ(『ヴィクトリア女王 最期の秘密』)。実力ある俳優たちが織りなすアンサンブルは完ぺきだ。
劇中に何度か流れる、ビゼーのアリア「耳に残るは君の歌声」の一節「おお、美しい記憶よ(O souvenir charmant!)」が胸に迫る。木から葉が落ちるように、記憶や認知は散っていき、常識人として心にしまいこんでいた本音や好き嫌いがむき出しになる。それを見ているのはつらくて悲しい。寂しい。それでも失われることのない愛を信じさせる。そんな作品だ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『ファーザー』は2021年5月14日より公開
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